専門家が登場する時間です。
辛抱
「さあそれでは、この問題に詳しい先生をお招きしております。
京都産業大学教授の所功先生です。この番組にあまたコメンテーターやゲストあれど、
もっともお上品な方。よろしくお願いします。さて、冒頭の委員長の疑問ですが
そもそも日本の天皇と、外国の国王との最も大きな違いは何なのですか?」
所
「なかなか一言でいうのは難しいのですけれど、私自身が実感しておりますのは、
やはり既にご発言の中にありますけれども、やはりそのいわゆる政治権力を超えた、
権威としてずっと続いてこられた。それはやはり永らく一つの家柄が続いておるという
事に対する信頼感だと思います。それがありますのと、やはり争って地位に着いた人は、
当然争いでまた負けていくわけですけれども、そういう事はありませんから、むしろお勤め
として自らを高めるための道徳的な訓練を、小さい時から受けておられる。そういう事が、
ご自身のお勤めが何であるかをはっきりと自覚され、周囲の人々もそういう方だという事で、
権力者が次々替わりましても、その権威の象徴としての天皇については敬意を持つというのが
日本の天皇の特徴だろうと思います。」
辛抱
「ただね、戦争の責任論というのが良く出るじゃないですか。戦争の責任があるという
人に言わせると、でも止められなかったじゃないか。止められたのはただ一人天皇しか
いなかったじゃないか。という指摘についてはどうですか?」
所
「誠に一見その様に聞こえるのですけれど、実は日本の近代国家というのは、
五箇条のご誓文に示された様に、要するに公儀政体をつくるということであり、
明治22年には大日本帝国憲法が出来るわけですけれども、
要するに天皇を統治権の相談者として、
そしていわゆる議会制民主主義を憲法によって建て、
翌年から大日本帝国憲法が機能するわけですし、
責任(議員)内閣制というのも明治18年以降機能しているわけですから、
そういう意味で近代的な立憲君主国家として、システムが出来、運営されている以上、
先程のVTRに出ましたけれど、まさに立憲君主たろうと自らされましたし、
それは重要なことなのです。逆のケースを考えてみてください。
もし天皇が自分の意思でああせいこうせいと言われることが良いとするならば、
昭和天皇は戦争を避けたいとお考えだったけれど、
逆に戦争すべきだという天皇が現れたら、
その通りする事が御聖断だということになりかねませんね。
そうではなくて、やはり近代国家というのは、議会や内閣が機能して、
その上に内閣の代表者を天皇が任命されるというシステムがあるからこそ、
きちんと機能してきたのだと思います。」
勝谷
「おっしゃる通りで、さっきのVTRの中で戦前の事を(本当に日本のマスコミは、
薄っぺらな知識で決め付けて)全体主義っていったでしょ。
戦前の日本は全体主義じゃないですよ。立派な民主主義国家で、戦争直前の総選挙では、
左翼政党が票を伸ばしているわけですから。全体主義ではない。ちゃんと民主主義が機能
していましたね。」
三宅
「勝谷さん、それは違う。あんた戦後生まれたんでしょ。知らないことは我々じじいに
聞いた方がいい。私は中学生だったけど、戦争の事は知っているけどね、それはやっぱり
昭和15年以降、終戦迄は全体主義・軍国主義ですよ。それはもう批判は一切通じない。
子供だって…、私なんて電車の中で将校だか大尉だかに軍刀に触れただけで、ぶった切ると
言われたことがある。そういう時代だった。もうねえ私が一番苦痛だったのが教練ですよ。
鉄砲かついでねえ、富士の裾野に行ってねえ、13,14の子供がですよ、38式やってねえ
、打ったりさせられるんだから、肉体的苦痛以外の何物でもなかった。
それはねえやっぱりね、全体主義・軍国主義で括られてもしょうがない時期が
5年くらいは確かにあった。」
橋本
「戦前を過ごされた三宅先生に、お聞きしたい事があるんですけど、僕ら戦後の天皇制しか
知らないんですけれども、戦前の天皇は国民から見てどういう存在だったのですか?」
三宅
「国民なんか…ともかく、接触することはないんだから、仰ぎ見てあれなんだからね。
例えば天皇が行幸されるなんて時は、全部家は雨戸を閉めてね…。出てなんとかってことは
ないんだから。今の様に被災地巡幸にいかれて、あ〜あ、なんて握手を求めるなんて、
そんな事を求めるなんてことはないんだから。」
宮崎
「簡単に言うと、まじかに見ると、目がつぶれる様な存在。そういうくらいの権威だったの。」
三宅
「小学校が家事になるでしょう。奉安殿(ほうあんでん)が焼けちゃったっていうことで、
自殺した校長がいるんですよ。申し訳ないといって。
そういう時代だからね。今の天皇とは全く違うんだよ。」
橋本
「三宅先生、そういう権威は軍にしろ何にしろ無理やり押し付けていってたのですか?
それとも国民自身の…」
三宅
「それは政府・役人が作ったんでしょうね。少なくとも明治以前の天皇に対するものとは
違うと思う。」
橋本
「畏敬・崇拝の念というものは、ふつふつと沸きおこってくるものではなかったのですか?」
三宅
「ふつふつと沸きおこってくるものですよ。私なんか今でもふつふつですよ。だから今、
そういう意味では、皇室が民主化とかね、一般の市民社会のホーム何とかみたいになるのは、
反対なんですよ。ある程度威厳のあるね、国民が範とすべきものであって欲しい。」
勝谷
「それとね、天皇陛下というのは、昔から兆しなんですよ。
あまり生々しい肉体の色のついた像じゃないんですよ。
だから今回の卜部侍従日記の朝日新聞が何の意図か、
昭和の日の直前に出しましたけれども、あれああいうさあ側近の肉声ね、
ああいうもの漏れてくるのは、富田メモもですけれども、
やっぱり行為そのものは如何なものかと思いますけど、どうでしょうか。」
所
「おっしゃる通りでして、最前のご発言に関しまして申しますと、
戦前を一括りにして全体主義と言うのは間違いだったと思います。
ある時期において、憲法の運営なりそのあり方に
非常に極端にいってしまった時期があるという事だろうと思います。
ついでおっしゃいます様に本当に、昭和天皇に関しまして、
色んな資料が出てくる事は、私は歴史家ですから、本当に知りたいのですけども、
資料というものが、本当にどれほど信頼性ががあるものかは、
よほど慎重に検討する必要があると思います。
そういう意味で、私はもちろん新聞なり雑誌なりに、そういう資料が提供されて、
国民に判断材料が豊富になることは、一見良い事ですけれども、
それは最初から結論ありき、例えば昨年日経が出しました、富田メモにしましても、
メモですから、メモの性格というものは、全体、
例えば富田さんという方がメモというのを、どの様な気持で従来書いておられたかとか、
その事に他の資料がどんな関連があるかとか、
十分歴史家なり専門家が検討してこう意味において、このメモは理解できる。
という風な事を検証する必要があると思います。
その生のままで一部分だけ取り出して、だからどうのという事を、
先入観として与えてしまうような出し方は、問題だと思います。」
筆坂
「先生の言われる通りだと思うんですがね、僕はやはり出てきた方が…
それで結論を下すというのは、あれだけれども、やっぱり出てきて知るというのは、
僕は誰にとっても不利益はないと思いますよ。」
宮崎
「所先生がおっしゃっているのは、要するに、例えば日経新聞でやっと今。
膨大な日記と添付されたメモがあって、それとの関連付けが分かり始めている。
これは総花の日経新聞に発表されそうですけれども、その後でもよかったんじゃないか。」
所
「そういうことです。」
花田
「それは非常にね、朝日新聞とかね、そういうのが利用するわけですよ。A級戦犯合祀の
ところだけ取り上げて、それを一面でドンとやるわけでしょ。けしからんですよ。」
三宅
「私もちょっと一言いわして、あのね大体今皇室の事について敬語を付けない新聞は、
朝日新聞と毎日新聞だけ。例えばお出かけになったとかね、会見されたって時でも、
全部会見した、行った、そうですよ。よくよく注意して御覧なさい。
読売新聞はちょぼちょぼだね、産経新聞はかなり敬意を表しているけど、
あたりまえのことなんですよ。憲法上の象徴なんだから、それを普段呼付けにしておく。
日の丸国旗国家も、けしからん、強制しちゃいかん、自分らが高校野球した時は、
起立して国旗国家だよ。自分らが都合のいい時だけ利用してだよ…」
宮崎
「しかし、残念ながら、皇室関係のスクープというのは、これは欺瞞的だと思いますよ。
朝日新聞社としては、朝日新聞が圧倒的に多いんですよ。それだけ皇室の中に記者が
入り込んでるということです。」
南
「雅子様の御懐妊の時も朝日でしたもんね。」
宮崎
「だから、そういう意味では朝日新聞と皇室というのは、
要するに車の両輪みたいな感じでやっているわけですよ。」
花田
「朝日と文芸春秋ですね。」
勝谷
「だけどね、文芸春秋は昭和天皇独白録も、小倉侍従日記も、700いくらの
月刊文芸春秋を買うだけで国民は※※買えたわけですよ。6200円の本、これはひどい。
天皇の肉声を金に換えているんですよ。」
三宅
「まあまあその辺にしとこう。先生の話を聞こう。」
所
「とりわけ三宅先生がおっしゃったことは、非常に大事なことだと思います。
私はやはり国民との関係がありますのは、敬語だと思うんですね。
日本語はいろんな特徴がありますけれど、やはり敬語がきちんと使い分けられるというのが、
日本文化の奥ゆかしさであったと思うんでが、それが基本的には古代から天皇を
ある意味で頂点とするまとまりの中で、目上の人に対しては、尊敬する人に対しては、
敬意を表するということで、主語がなくてもちゃんと動詞で分かる程、敬語を
ちゃんと使い分けてきた。それを何か権威主義とか、形式主義とかいうのではなくて、
むしろ心遣いだと思うんですね。そういうのが極端に、特に平成に入ってから消えて
しまっている。それがマスコミを通じてどんどん増幅していますから、本当に今日の
学生などを見ておりましても、ほとんど敬語が無茶苦茶なんですね。そのことは、
単に天皇を否定するようなことではなくて、日本の文化を破壊するものだと私は思います。」
辛抱
「お父さんとかお母さんとかね、大学の先生とかね、ちゃんと目上の人は敬ってね…。
さあ、皆さんにお伺いしております。
あなたにとって『昭和』とはいったいどの様な時代でしたか?いっせいにドン!」
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南「豊かな時代」
勝谷「狂を興した時代」
橋下「楽だった…」
宮崎「戦争の時代」
ざこば「階段」
三宅「二つの異なる時代」
花田「我が人生の時」
筆坂「共産党員の時代」
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たかじん
「そうやなあ時代でしたか?になってんねんなあ。当たり前やけど、
しかし元号が変わるのはやっぱりあれですよね。平成、平成、
だいぶ慣れてきましたが、違和感というのは拭えないですね。」
花田
「それはありますね。自分の時代じゃない様な気がしますね。」
筆坂
「僕が最初に書いたのがね。(指差して)共産党員の時代。
(一同大爆笑)書かされたんですよ〜。」
花田
「貧しい時代もしってるし、東京オリンピックを見て、
高度成長期の時代を知り、それこそ共産党がソ連にできて、
70年経って崩壊するのも見て、
後は中国の崩壊を見たいなあと思っているんですけどねえ。」
たかじん
「昔は共産党もねえ、大阪も京都も知事が共産党の時代があったんですよ。」
筆坂
「太平洋ベルト地帯と言われたものですよ。赤のベルト地帯ね。」
三宅
「筆坂さん、あなたやっぱり共産主義の時代が来ると確信していましたか?。」
筆坂
「それ程の確信があったわけじゃない。そこについていえば。
ただ共産党という党が必要だろうという思いはありました。
必ずそうなるだろうという所までの確信は、率直にいってありませんでした。」
三宅
「共産主義の革命が起きたら、ダラカンとかブルジョアを皆絞首刑にしてやる。
なんて思ったことはありませんか?」
宮崎
「確かに昭和後期というか、戦後の昭和期は、左翼が強かった時代ですね。」
勝谷
「学力テストが無かった、43年間です。」
宮崎
「だから共産党の皆は、学生運動を文化とか、メディアも全部左翼一色の時代でしたからね。
こんな番組なんてありえないですよ。昭和の時代には!」
勝谷
「左翼の日教組がね、テストで較べるのが可愛そうだと言ったので、
学力テストは無くなったんです。43年前に…。
43年間日本は馬鹿を生産し続けてきたから、
日本が駄目な時代は後23年間続くでしょうね。」
宮崎
「じゃあ、あなた馬鹿やな?」
勝谷
「うん。馬鹿、馬鹿、馬鹿。」
南
「私、祖母から本当にことある毎に戦争の話を聞いたんですね。
もう食べる物がなくて、芋の蔓を食べて、水団食べてこうやって生き延びてきたのよ。
今いう『もったいない』の思想というのも、祖母から折々聞かされて、
それがかえって心の豊かさをね、敢えてまだ我々がそれを持っているという事は、
すごく私の誇りですね。横丁で遊んでいても、地域の人々が皆が見守ってくれるんですよ。
今だって、特急乗ってて女の人が乱暴されていたって、皆見て見ぬふりするでしょ。」
三宅
「北陸線の強姦事件で40人が黙ってたっていうのは、普段はそんなことはありませんよ。
そこにいた人達は、本当に自分が卑怯者で情けなかったと終生負い目を感じますよ。
そりゃあ自分の怯懦(きょうだ)にね。恥ずかしいと思わなきゃいかん!」
たかじん
「これは、そこ写ってるんか?」
辛抱
「実は、今の話は後程あるんです。」
たかじん
「そうか。」
辛抱
「先生、折角今日来られたんですが、これだけは言わないと帰れない。
ということがあればどうぞ。」
所
「本当に『昭和の日』にちなんで、昭和天皇のことを取り上げて頂きまして、
大変ありがたい事だとは思うんですが、さいぜんVTRの中に出てきたのですが、
昭和21年の元旦に『人間宣言』が発せられたというのは、
ある意味で間違いだと思います。あれを全文読まれますと判りますように、
冒頭に、五箇条の御誓文が全文掲げてあるんですね。しかもそれは、
昭和天皇の御意思で掲げられたといわれています。
ではなぜ昭和天皇が五箇条の御誓文を重視されたのかといえば、
それは、大正3年から10年まで東宮御学問所で、我々でいう中学高校時代、
特別教育を受けられるのですが、その時に一番大事に教えられたのが、
五箇条の御誓文なんですね。そういう意味で、
しかも大正10年にはイギリスに行かれて、ジョージ5世に会われて、
ある意味で、ヨーロッパ型の立憲君主制というものも学んでこられた。
そういうところから、やはり日本の立憲政体というものは、
五箇条の御誓文に発するんだから、戦争に負けてアメリカに教えてもらって
民主主義になるんじゃないんだ。ということを明確にメッセージとして発せられたのが、
五箇条の御誓文であり、あの当時は既に、『新日本建設の証書』という言い方をマスコミも
しているんですね。そういう意味で、私は教科書からして、『人間宣言』というのは、
ある意味で誤解を与えるので、『新日本建設の証書』であったとして、それを我々は
ある意味で戦後の原点として、明治時代を受け継ぎ、そして本当の新しい五箇条の御誓文の
体現をめざすんだという事でやってきた戦後というものを、
改めて見直す必要があるだろうという風に思います。」
辛抱
「どうもありがとうございました。」
---所さん、退場---
たかじん
「ああいう人を見ると、あっ、育ちというのは本当にあるのだなあと思います。
自分を恥じる次第でございます。(最敬礼)」
-----完-----