日本政府は制裁一部解除することにしてしまいました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080613/plc0806131639016-n1.htm
安倍ちゃんが辞めて福田さんになってから、こういうことになるだろうと懸念している人は沢山いたのですが…
横田滋さんは「政府は再調査だけでは進展とは言わないとしてきたはずなのに」と発言されてますが、
政府は何を持って進展とするかをコロコロと表現を変えて、誤摩化そうとしていましたね。
で、今日気になったコラムです。
(以下引用です)
「だまされ続ける」日本国民
内田一ノ輔
「国民はバカではない」これは政治家や官僚の使う常套句だ。
本当にそう思っているのか。本心では、日本の国民はバカだと感じているに違いない。
実際に、政治家や官僚の思惑のために、過去に何度だまされてきたのか。
新しいところでは、格差を作り上げた小泉改革であり、郵政民営化、年金問題、薬害問題、後期高齢者を見捨てる保険問題等、数え上げたら切りがないほどである。
しかし、日本国民はその度に「だまされた」とブツブツと文句を言うが、すぐに怒りは収まってしまうし、そしてすぐに忘れてしまうのである。中には、「だまされていた」事すら気付かない人も多い。
即ち、「だまされても、だまされても」大して怒ることもなく、平気でいられるノンキな国民なのである。そして、この「だまされる」ことが永く続いてきたことを考えれば、何の学習も出来ていない国民は、間違いなくバカであり、当然、俺もあんたもバカである。
こんな国民気質の下では、政治家や官僚の自浄作用が望めないし、益々増長させてしまう事に他ならない。
「だました」人間が悪であることは間違いないが、はたして「だまされ続ける」国民は何なのか。「だまされた」被害者には他ならないが、誇れることではない。
一方、自分が「だまされた」ことにより、他に被害を受ける人がいるとすれば、「だまされたこと」自体が罪となるのである。
散々注意されているのにもかかわらず、「振り込め詐欺」に遭うやつは、他人に迷惑のかけないバカである。
この究極は、国民全員が「だまされた」と後悔したあの戦争である。という主張が60年前にされていたので紹介する。
昭和20年の終戦を迎えた後、人々は皆一様に「自分達はだまされた」と口にした。そして、多くの人がこの戦争責任者の罪を指摘し、その追放を主張した。
映画界でも同様の運動が起こった。それらに対し、映画監督の伊丹万作が自分の主張を述べたものが「戦争責任者の問題」というエッセイである。以下はその抜粋。
『我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持っている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想に他ならない。つまり、だまされるという事もまた一つの罪であり、昔から決して威張っていいこととは、されていないのである。
だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、家畜
的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまった国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本質なのである。
このことは、過去の日本人が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することが出来なかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実と、全くその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者に許した、国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも、個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり、人間性への裏切りである。また、「悪を憤る精神の欠如」であり、「道徳的無感覚」である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
今まで、奴隷状態を存続せしめた責任を、軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの責任を真剣に反省しなかったならば、日本の国民は永久に救われることはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から開放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感じざるを得ない。
「だまされていた」といって平気でいられる国民ならば、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別の嘘によってだまされ始めているに違いないのである。
1度だまされたなら、2度とだまされまいとする、真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。まず国民全体がだまされたということの意味を
本当に理解し、だまされるような脆弱な自分と言うものを解剖し分析し徹底的に自己を改造する努力を始めることである。』引用終わり。
これが書かれた昭和21年から日本人は進歩したのであろうか。いや全く進歩していないことは、前述のとおりである。
例えば、アメリカから同じような牛肉を輸入している日本と韓国民の対応の違いは顕著である。日本では全く盛り上がっていないが、韓国では大規模なデモの様子が報じられている。
サヨクとかプロ市民の先導と言うより、子供も含めた国民の気質が駆り立てているようだ。
国民の期待を背負った新しい大統領が誕生したばかりであるが、その支持率も75%から10%代へと急落させるという強い意思表示を示し、結果アメリカを屈服させると共に、政権の存続すら危ぶまれてきた。
一方、薬害被害者の抗議行動に対しても、対岸の火事のように冷ややかな日本人である。
日本人が、何となく馬鹿にしている韓国人だが、この点学ぶべきは日本人であろう。
これらの行動には、マスコミの違いも大きく影響している。日本のマスコミは国民の側にいるとはいえない。むしろ、政官界の代弁者であり、マスコミにとって
の「客」は広告主であって、読者・視聴者ではないのだ。必要な事実をあえて報道していないという姿勢を見れば明らかである。
伊丹万作に言わせれば、現在のマスコミは「大本営発表」を大々的に報じた、当時の朝日を代表としたマスコミと同じであって、正義や言論の自由を謳うが、間違いなく「だましている」側である。
そこには「だまされ続ける」国民がいる。ああ、日本人は60年間、いったい何の自己改造の努力をしてきたのだ。であろう。
しかし、戦後も国民はだまされ続けたが、大して怒ることなく、国民が一体となって経済を早期に復興させ、技術大国、経済大国にまでなってしまった。
英国のBBCが世界28ヶ国の約2万8千人に対して、「世界に最も良い影響を与えている国は何処の国か」というアンケートを行なった。結果、ここ3年連続日本が1番だそうだ。
だが、政治家とマスコミは2等国並である。何が良かったのかと考えれば、「だまされ続けてもめげず、前向きに励む国民」であり、当然ここには国を支えてきた「官僚」の果たした役割を否定する事は出来まい。
しかし「官僚」も堕落し、かなり質が落ちてしまった現状を考えれば、日本の見通しは決して明るくないのである。やはり日本国民は、国民主権とは何か目覚めなければならない。物言う国民にならなければならない。
<伊丹万作>
自らも映画監督であり、映画監督の伊丹十三と大江健三郎夫人の父である。
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