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2007年4月28日 (土)

戦場の名言

「女に殺されるなら、いいではないか」
林大八大佐

マンシュウ事変がカチュウに飛び火した第一次シャンハイ事変。武力衝突は昭和?年1月29日に起きて、在留邦人との権益の保護のため陸軍部隊が派兵された。当初は大兵力の支那軍相手に苦戦したものの、予定していた線に進出した3月3日、日本側は自主的に戦闘行動を停止し、5月5日には停戦協定が結ばれた。戦闘が苛烈になりがちな市街戦なのに不祥事もなく、また大陸の泥沼にはまりこまなかったことは高く評価されるべきだ。

クリークが入り組み、家屋が密集した便依隊(ゲリラ)が横行する戦場であった。
林大佐の指揮する歩兵隊第七連隊が所属する第九師団が総攻撃を開始したのは2月20日であった。前夜、林大佐は将校全員を集めて訓示した。それは敵前での教育とでもいうべき内容であった。
功を急ぐな、責任感の強い者が戦場で一番強いのだといった話に始まり、人命と弾薬を節約することを強調した。そして最後に、「便依隊の掃討にあたっては努めて証拠物件を収集すること。老若婦女子は便依隊の疑いがあっても、現に抵抗する者以外はこれを寛恕すること」を命じた。
また一説によると、「老若婦女子はいかなることがあっても、殺してはならぬ。男子であっても敵対せぬ者は殺してはならぬ」とも説論したという。
この時「もし女が撃ってきたら、どうしますか」との質問が出た。一瞬の間があり、笑顔を浮かべた林大佐は、「女に殺されるなら、いいではないか」。
爆笑が起こり、総攻撃前夜の緊張が解けたという。

シベリアからマンシュウ、蒙古と大陸での勤務が長い林大佐は、大陸の恐さを知り尽くしていた。
「老若婦女子は殺すな」と強く求めたもの不思議ではない。とくに婦女子は大陸の民にとって最大の財産であり、なんとしてでも守る面目である。それに手を出したとなると、とんでもない復習にでる。これを未然に防ぐ努力をする林大佐のような人があとに続けば、今日にいたるも難癖をつけられるようなこともなかったのにと溜息がでる。
3月20日の総攻撃以来、第九師団は苦戦を重ねた。市街戦とクリークの渡河戦が連続するのだから、思うように進むはずがない。また師団、旅団、連隊の方針がなかなか一致しなかったことも苦戦の原因となった。そして3月1日、敵の拠点であるコウワンチンを攻撃中、文字どおり第一線に立った林大佐は、機関銃弾を浴びて戦死した。なお、ニ、二六事件の刑死者で最年少の林八郎少尉は彼の次男である。

* * * 


『これを未然に防ぐ努力をする林大佐のような人があとに続けば、今日にいたるも難癖をつけられるようなこともなかったのにと溜息がでる。』の所は無視してください。(笑

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